粟谷塾

神奈川県横須賀市の個人塾(家塾)

「粟谷塾玄関サイン - I'm a genius.」と「粟谷塾外観 2014年4月25日撮影」と「粟谷塾看板 - 花と蝶」

[自信]を持たせて[意欲]を引き出す塾

大学のように自由な授業で、基礎的な学習から専門的な研究まで!




※当サイトでは、人それぞれの意味が有るような幾つかの語については、「私が言っている意味での」と云う事を示す為に、敢えて[ ]を付けています。



塾長の自己紹介


【塾長近影】

粟谷塾塾長、粟谷 聡です。
宜しくお願いします。
粟谷塾塾長 粟谷聡です。宜しくお願いします。 粟谷塾塾長 粟谷聡です。宜しくお願いします。
写真左:2015/01/15撮影、右:2015/09/07撮影(動画用)

粟谷塾塾長、粟谷 聡あわや さとしです。

私は、この粟谷塾に一つの希望を持っています。
それは、この塾が心の交流、信頼関係で満ち溢れる事です。
お金の遣り取りや組織への所属によってではなく、一人一人の心と心で結ばれる信頼関係で満ち溢れる事です。

私は、この塾の指導理念(教育理念)として、「[自信]を持たせて[意欲]を引き出す」と云う言葉を掲げました。
これは、単に勉強内容が分かり、出来るようになる為だけではありません。
一人一人が人間的に心豊かな魅力有る人物になる為でもあります。
そんな素晴らしい一人一人が、心と心の絆を紡ぎ結んでいく場、私は、粟谷塾をそんな所にしたい、と思っています。

生徒の皆さんが、実際に勉強内容を分かり、出来るようになるのは、言うまでも有りません。
自分に[自信]を持って、伸び伸びと[意欲]を出せるようになれば、自分の持っている力を思う存分に発揮して、私が余計な手を出さなくても、自ずとどんどん伸びていきます。
ですから、私は、そうなる、と分かり切っている事を目標にはしていないのです。
もっと深く温かい経験を皆で共有出来る事を予期して、希望を置いているのです。

私は、1993年以来、首都圏各地の個別指導塾で働いてきました。
それから今までの間に、自分で塾を経営したり、他の個人塾やフランチャイズ塾に講師、教室長、エリア長として勤めたりしてきました。
それらの経験を経て、私は、粟谷塾でなければ実現出来ない事が有る、と云う事を思い知りました。
私は、それを見たくて、改めて粟谷塾を再開する事にしました。

勿論、こう云った事は、私独りで出来る事ではありません。
生徒の皆さん、保護者の皆さんのリアクションが在って初めて、心と心の交流が成立します。
私は、生徒の皆さんの為に惜しみ無く、全身全霊を尽くします。
粟谷塾に集う生徒の皆さん、保護者の皆さんなら、きっと意気に感じてくださる、と思います。
ですから、私は、この粟谷塾に希望を置き、どんなに強い絆が生まれるのかを見るのを楽しみにしているのです。

氏名 粟谷 聡あわや さとし
生年月日 1971年9月3日
出身地 広島県広島市
  • 生まれたのと中学校入学後居住したのが広島県広島市で、その間は福岡県福岡市に居住。
転居歴 福岡県福岡市
広島県広島市
東京都八王子市
千葉県市川市
東京都渋谷区
埼玉県さいたま市
トルコ共和国ムーラ県キョイジェイズ市 Köyceğiz, Muğla, Türkiye
神奈川県横須賀市
  • 上京後は、偶然ですが、国道16号に沿って動いている観が有ります。
    国道16号辺りが、ナイス家賃エリア、と云う事ですね。
使用言語 主に広島弁
  • 大学入学で上京した後、20代の間は余り広島弁が出ず、割と東京弁(標準日本語)が出ていましたが、30代になって何かが吹っ切れ、突然広島弁が良く出るようになりました。
    たまに博多弁(福岡の方言)を聞くと、博多弁が蘇る事が有ります。
    チャットは、相手がトルコ人の場合が多いので、殆どトルコ語です。
座右の銘 成功するまで諦めなければ必ず成功する。
  • 半分ギャグです。でも、間違ってないですよね?
学歴 大学入学資格検定合格
成城大学文芸学部中退
  • 大検を取って大学に入学してみましたが、入学後大学の人に色々話を聞いてみると、日本では私がしたかった勉強は出来ない(そう云う学問を専門にしている教授は居ない)、と云う事だったので、大学に行く意味が無い、と判断し中退しました。

    私がしたかった学問とは、世界史を細分化専門化するだけでなく、それを統合して各地域史、各分野史の関連を明らかにし、世界史全体の大きな流れを炙り出す学問です。―私が最初に勤めた塾の塾長は「大勢史たいせいし」と名付けてくださいました。
    海外にはもしかしたらそう云う学問を出来る所が在ったかも知れませんが、広島から莫大なお金を費やして上京したばかりなのに、更に海外に行きたい、とはとても言えませんでした。
    そこで、大学や研究所に属さなくても自分独りでその学問を進められる環境を作ろうとしたのが、私が家塾を始めた最初の動機でした。

    しかし、時経つ内に、歴史よりも、普段自分が感じ考えている事柄が何を意味しているのか、を把握する事の方に興味が移るようになりました。
    自分が自分、他人、勉強、学校、仕事、会社、社会等に接して感じる事柄、或いは、自分が日々人生に望み求めている事柄って、意外と、自分でもきちんと把握するのが難しかったりしませんか?
    それを見極めて把握する事の方が楽しくなった訳です。
子供の頃得意だった教科 音楽
  • これは、自分の努力と言うよりも、親からの遺伝の影響が大きい、と思います。
    親が声楽出身の人なので、恐らくその遺伝で、元々響く声で、楽器を全然演奏出来なくても、5段階評価の5に相当する成績を貰えました。
    合唱祭の前に、クラスメイトから、「お前が居ると合唱にならないから優勝出来ない。」と責められた事も有りました。
    実際、合唱祭の後、録音されたテープを聴いてみると、私の声しか聞こえず、気まずい思いをしました。
    でも、歌うのは好きで、今でもしょっちゅう鼻歌を歌っています。
    また、今では、自分の声が響き易い事を自覚して、慣れていない人と話す時には、声で相手を圧倒しないように、押し殺すようにして発声する癖が付いているようです。
嫌いなもの 下種
  • 要するに、打算的な卑怯卑劣の事です。
    他の事は大抵気になりませんが、これだけは虫唾が走る程嫌いです。
海外生活を経験して、日本をどう思うか? 貴族の国
  • 世界には、日本と同じ位便利に快適に優雅に暮らせる所は在る、と思いますが、その恩恵に与れるのは皆お金持ち、富裕層です。
    日本程、一般国民、庶民が便利で快適で優雅な暮らしを享受出来る国は他に無いだろう、と思います。
    それは、例えば、日本では、庶民の家であっても、災害でも無い限り停電しない事や、庶民の家であっても、水道の水がそのまま飲める事、庶民が乗る電車であっても、時刻通りに運行している事、と云った事です。
    つまり、日本では、他国でならば大金を払わなければ出来ない暮らしを庶民が享受している訳で、その意味で、世界の中で稀有な、特権階級の国、「貴族の国」だ、と思います。

    ただし、そう云う便利で快適な暮らしを誰もが享受出来るように、海外から見れば精密機械のように仕事に従事しているのもまた日本人であり、「貴族の国」を実現する代償として、日本では、特に人間関係が堅苦しく息苦しく上辺に終始し易くなっている、と思います。
    更に、お金に困ってそう云う暮らしが出来なくなると、他国の庶民のように暮らす事は出来ず、一気に落伍してホームレスにならざるを得ない、と云う意味でも、日本は「貴族の国」―貴族しか生きられない国―だ、と思います。

    しかし、最近、多分ここ10年位、そう云う国の在り方が、急速に変わりつつあるように見えます。
    それが良い事なのか悪い事なのか、この状況が進んでいくとどんな事が起きるのか、と云った事は分かりませんが、どんな状況になっても、粟谷塾の生徒達には、自分を失わず前向きに自分が納得出来るように生きていってほしい、と思います。
    そんな風に、生きる力を身に着けられるように、私は、生徒達を助けていきたい、と思っています。

粟谷塾塾長  粟谷 聡

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